#126 終戦

 インパール作戦とは、第二次世界大戦大東亜戦争)のビルマ戦線において、1944年(昭和19年)3月に帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された、援蔣ルートの遮断を戦略目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加したほとんどの日本兵が死亡したため、現在では「史上最悪の作戦」と言われている。餓死や飢えに起因する戦病死の多さも際立ったが、それに対しても精神論で押し切ったみたいだ。

 行政は暴走機関車ともとれる走り出したらもう止まれないというような政策は絶対にしてはいけない。常にリスクヘッジの意思で政策を推し進めることが重要だ。このインパール作戦を進めた時、反対する参謀は次々に解任させられたらしい。現在で言うところ、専門家の意見を無視し政策を行うといったところだろう。

 振り返れば専門家の意見を一部蔑ろにした東京五輪。言ってみれば暴走機関車だったのかもしれない。上層部の無理強いほど怖いものはない。終戦の日にもう一度政治を見つめ直そう。