勉強の意義とはなにか。最近この問いについて、熟考を重ねている。
ここでいう勉強とは、中高で教わる国数英などの科目の勉強ではない。知識、行動、スキル(能力)、価値観、選考(好き嫌い)を新しく獲得したり、修正することである。 ※引用 Wikipedia
つまりあらゆる場面での勉強である。
最近私は、ブログや読書をするにあたり、「どんなことを学べるか、もしくは学んだか」を考えている。この考えることこそが勉強であると思う。
そして、勉強をしていくうちに、最初の問いについて、一つの答えに気づいた。
勉強の意義の一つは、幸せの追求である。
勉強の意義の一つといっているのは、勉強の意義は沢山あると思っているからだ。ただ、まだ勉強不足でそれを見つける事ができていない現状だ。
私のこの考えは、内田樹さんが書いた「下流志向」という本を読んだ際に感じたものだ。
「下流志向」は、現代の子供と昔の子供を比べながら、現代の子供の学びからの逃走について書いたものである。
なぜこの学びからの逃走が起こったのか。これは、変化する社会によって影響された、親の在り方が、要因だと主張している。
どんな親の在り方か説明すると長くなるので省略するが、自分の親と、この本で書かれている現代の親とを比較して、自分の親が私にしてくれた教育に感動した。
そして、愛されているなと心から実感し幸せを感じた。
こうして、勉強をすることで、幸せを感じる事ができた。これは大いに、勉強の意義になりうるだろう。
私は、勉強と登山は似ていると思う。素晴らしい景色を見るために山を登ること。これが登山の意義。私は、勉強をして、幸せという景色を見た。登らなければ見えない景色があったのだ。
ただ、少し違うところはゴールがあるかないか。登山においてのゴールは、山頂。人生という山に終わりはないのかなと思う。しかし道中に見える景色は確かにあって、それは素晴らしい景色だろう。
人生は終わりのない山。改めて人生の面白さを感じた。一生登山している状態だ。
私は、人生という山を登り続け、素晴らしい景色を見るために勉強をしたい。